2016年11月04日

障害が重度といわれる子どもこそ、普通学級へ通うのがいい理由

障害のあるお子さんの就学に関して、その親御さんはとても悩まれると思います。重度の障害といわれる子こそ支援学校の方がいいと思い込んでいませんか?大半の専門家も同じようにおっしゃるでしょう。でもそんな大人たちも、実際に重度の障害があるお友達と同じ教室で学んできた経験はほとんどないのではないでしょうか。今こそ既存の価値観を疑い、視点を変えて考えてみませんか?

私が、コノビーさんで書かせていただいた記事です。


以下全文です。

声を出す子も、立ち歩いている子も、医療的ケアが必要な子も…一緒の教室で学ぶということ


障害のある子どもの就学に関しては、現在ではどこの自治体であっても本人や保護者が希望すれば、重度といわれる障害があっても常時、普通教室で学ぶことが可能になりました。

しかし、現実的に考えると、なかなか普通教室で学ばせるという希望を出せない保護者の方が多いのではないでしょうか?

大阪府では『共に学び、共に生きる教育』が基本となっています。
学校間で取り組みに大きく差があるものの、基本的な教育方針としては、障害の有無に限らず家庭環境や国籍の違いも関係なく、どんな子どもも『共に学ぶ』を掲げています。

大阪には、話題になった映画『みんなの学校』の大空小学校以外にも、ずっと昔から支援学級(又は養護学級)を作っていない学校がいくつもあります。支援学級がないので、当然のことながらどの子どもも同じ教室で一緒に学びます。

今でいう「インクルーシブ教育」といわれる実践が、大阪では40年以上も前から行われているのです。

障害のある子に限らず誰に対しても、相手の気持ちを考えるようになっていく?!


私は、重度の障害があるお子さんこそ、地域の学校で皆と一緒に学ぶのがいいと考えています。

では、なぜ地域の学校へ行くといいのか?
それは、障害が見ために分かりやすいからです。
見た目に分かりやすいということは、一緒に過ごすほかの子どもたち自身が、その子に対してどんなことに手を貸せばいいのか?が分かりやすいということ。

逆に、見た目に障害があるのか分かりにくいお子さんの場合、周りの友達はその子の障害や個性をなかなか理解しにくいようです。子ども同士の関係がスムーズにいかない場合もあり、保護者の会でもお母さん達が悩まれていることは多いです。

そんな場合、大人が子ども達に通訳する必要が出てきます。互いの違いを認め合い、相手の気持ちを考えることを大人が教え続けなければならないと思います。

私の娘には最重度の知的障害があります。
しかしながら、娘と周りの子ども達の様子を見て感じてきたことや、親の会で他のお子さんの様子を聞かせてもらうと、子ども達はできない事の多い友達のために何をしてあげればいいか?喋れない友達の気持ちをなんとか分かってあげたい、などと大人が教えなくても自分達で考えるようになっていきます。

それが結果的に、障害のある子に限らず「誰に対しても相手の気持ちを考える」ことに繋がっていくのだと気がつきました。

また、障害のある友達の個性を認めることで、『出来ることがよいことで、出来ないことはよくないこと』という価値観をも覆していくように思いました。そして子どもたちは、『失敗してもいいんだ』と安心して自分の個性をそのまま出せるようです。


子どもたちが皆いきいきと、その子らしく生きられるようになれば…


多くの大人たちはこれまでの常識や固定観念に囚われがちで、『あなたの為に…』と言いながら、子どもを自分たちの定型にはめ込もうとしてしまいます。障害のある子には、学校生活に支障をきたすからと薬の服用を始めることにもなりかねない。
そんなことでは、いつまでたっても障害のある子どもたちの生きづらさは改善されないと思うのです。

重度や最重度の判定を受けている子どもは、どんなに周りが必死で定形の枠にはめ込もうとしても、はまらないことが多いです。

娘の場合は、授業中に静かに座っていることはできませんでした。時には立ち歩いていることもありました。

席に座るように促されたり、静かにするように注意はされていたはずですが、先生方も周りの子ども達も、娘がわざと皆を困らせようしているわけではない、と分かってくれていました。うるさいと思われることはあったでしょうが、それでも娘の行動を咎めることはありませんでしたし、娘の好きなようにさせてくださっていたことも多くて有り難かったです。

プールの時間は、娘の浮き輪やライフジャケットも持って行きました。中学校では、先生方がプールサイドにビニールプールを設置してくれました。夜間の高校へ通っていた時は、高校のプールの授業でビニールプールを持参しました。

既存の常識や固定観念がガタガタと崩れ落ちていくさまを感じる時には、誰でも大きなショックを受けます。ですが、一旦崩してしまえば逆に面白くて、そして型にはまらない生き方は、とても楽なんだと私は気づきました。

本来は、障害のある子に限らず全てのお子さんが、大人の型にはまるわけがありませんね。

子どもが皆、いきいきとその子らしい生き方ができるようになれば、きっとどの子どもにとっても生きやすい世の中になるのではないでしょうか?


どんな子どもにとっても居心地のいい学校になることを願って


私は今までずっと、大人は子どもに「教える」立場だと思っていました。しかし子ども達は豊かな発想をもっていて、障害のある友達にとって、周りはどうしたらよいか?を考えてくれます。大人が子どもに「教えられる」のです。

実際に教育の場でも、障害のある友達のことを理解しつつ、どこまでが配慮でどこまでが特別扱いになるのか?をよく分かっているのは子ども達の方で、大人の方が教えられることも多々ありました。

このような経験は本当に目からウロコで、大人も一緒に子どもたちから教わりながら、互いに成長し合うのだと思います。そうしていつの間にか、障害のある友達だけではなく、どの子にとっても(もしかすると先生方にとっても?)居心地のいい学校になっていくのではないかな、と感じました。大阪府の『共に学び、共に生きる教育』の実践を記した書籍を読んでみても、そのことを実感できることでしょう。

もしも今、学校生活で「しんどいな」と感じることがあり、それを解決する手段として「学ぶ場を分ける」ことを考えているとしたら、重度の障害といわれるお子さんこそ普通教室で!という逆転の発想をしてみませんか?
一緒に育ち、一緒に居心地のいい学校を作っていく子どもたちが大人になった時、どんな社会になっているかと考えると私はワクワクしてしまいます。

次の記事では具体例として、障害がありながらもずっと普通教室で過ごしてこられた、大阪市に住む健太さんをご紹介します。


posted by イムニー at 18:29| Comment(0) | 共に学び共に育つ教育

2016年11月07日

「障害が重いほど、普通学級で学ぶがいい」と思う理由〜重度の知的障害の健太さんの話〜

先日の続きになります。


コノビーさんの記事は以下になります。

https://conobie.jp/article/8970


  ☆  ☆  ☆


先の記事で、障害が重度といわれる子どもこそ普通教室で学ぶのがいい、と書きました。
では実際に普通教室で学んできたとして、一体それが将来何のためになるの?と疑問を持たれる方もいらっしゃるかもしれません。

私の友人で、大阪市に住む健太さん。
健太さんは、しゃべることができない・書けない・点の取れない重度の知的障害と判定されていますが、小中学校をずっと普通教室で学んでこられました。そしてその後も、高校生活、大学生活とエンジョイされてきました。

そんな健太さんについて書かれた、お母さまの手記がとても素敵なのでご紹介したいと思います。

どんなに練習しても出来なかったことを、簡単にさせてしまう偉大な力とは…?

以下、お母さまの手記より抜粋となります。

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健太は、茶髪で身だしなみにも気を使いそこそこオシャレも楽しんでいて、褒められることが大好きです。
しゃべれない、書けない、点の取れない重度と言われる障害児です。

身辺自立もまだ出来てないですし、1人で出かけることもありません。
そんな息子ですが、今まで共に学び共に育ってきたおかげで生きる力はピカイチです。

非言語なのにコミュニケーション力が高く、自分のことを多くの人に知ってもらっています。
空気を読む力も身につけていていろんな出来事があっても状況判断ができ、居場所を見つけることも出来ます。
精神面なんかも22歳男子と同じように成長していると思います。


みんなと一緒に当たり前に過ごすことは、本人にとっても他の子にとってもひとりひとり個性は違うけれど、同じクラスでの一員であるということを位置づけます。

低学年の頃は出来る事も少なくいつも先生が横について授業を受けていました。身体も小さく運動機能も未熟だったので球技の授業なんかはうまく参加できてませんでした。

そんなサッカーの授業の時…1人の男の子が先生に「ボールの空気抜いてやったら健太もけれるんちゃう?」と提案してくれ、クラスで相談しすぐにボールの空気が抜かれました。おかげでゆっくりところがってくるボールを健太もけることが出来、ゲームに参加することが出来ました。

ずっと一緒にいるということは、子供たちの中にも健太だけが別のことをするという発想が浮かばないのだとすごく驚かされ感動しました。

中学3年生、受験シーズンになった頃、いつも一緒にいるお友達から意外な質問をうけました。
それは、健太は私立はどこを受けるのかということでした。
彼は健太の学力のことはもちろん知っています。
それでも同じように受験するとしか思っていないんだなあとこれまた驚かされました。

それで健太の受験が狭き門であること、S高校の自立支援コース(大阪にある制度で、知的障害のある子だけが受験できるコース)を受験すること、それがとても高倍率であることを話ました。
クラスのみんなにも先生から伝えてもらうと、みんなから何か応援できることはないか考えてくれ、写真入り寄せ書きを作ってくれました。受験、面接の時に健太がそれを試験官の先生にアピールし(それが合否にどう影響したのかはわかりませんが)みごと合格しました。


自立支援コースの制度で入学した健太は初めて、分けられる経験をしました。
入学式の座席がクラスの一番後ろに別に用意されていました。
もちろんクラスに在籍ですしほとんど授業も一緒に受けます。

ただ、1年生で週に2時間、2、3年生では週4時間、自立活動という自立支援生だけの授業が、コネットルームという部屋で行われます。内容はみんなで同じことをしたり個々に合った学習をしたりです。

そのことはとても手厚く良いようにも思えるのですが、分けられたことのない私たちにとっては、とても違和感を感じました。コネットルームで自立支援コースの子と過ごしてる間、クラスであったことの思い出には健太はいません。そして健太の記憶にも残りません。思い出が奪われてしまいました。

個々に合った学習のおかげで確かにできる事も増えました。でもそれはその時しか出来ないことにも思えません。高校生の健太はその時だけです。みんなとの思い出なんて後では作れません。分けることで、思い出を奪ってしまう事をわかってもらいたいです。


そんな制度にしばられたところがあったS高校でしたが、多くの仲間と良い先生方に出会えました。高校3年生の卒業遠足がUSJでグループ行動するということが入学してまもなくわかりました。

ですが健太は、着ぐるみが苦手、暗い場所大きな音が怖い、そして乗ったことのない絶叫系と課題だらけ…でも当日はお友達と一緒に楽しい思い出を作って欲しいと思っていましたので、これは慣れるしかないと思い、高1の夏から年間パスポートを買い、ヘルパーさん、支援者、家族と何度も通いましたが、克服することは出来ませんでした。

そして当日先生にそのことを伝え、無理だったら健太は別行動でもかまいませんと話し、送り出しました。ところが一緒に帰ってきた先生が満面の笑みで私に「おかあさん!健太、みんなと一緒に全部まわれましたよ!!」と。友達の力ってやっぱり凄いなあと改めて感動しました。

18歳になっても友達の力で成長する、そして友達の中で凄く楽しそうな健太を見ていて、ぜひ大学にも行かせたい、行きたいって思ってるに違いないという思いが強くなりました。

 

高校の先生方も健太が大学に行くのもアリ、そして行かせたいと思って下さり、とても熱心にいろんな大学の門をたたいて下さいました。

ただ、大学の壁は高く厚く、多くの大学で断られました。
年内全滅。
年明けからは完全入学をあきらめたカタチでの大学生活を、S大学に打診して頂きました。

そして、大学から、「障害を理由に断りません」と言って頂き、科目等履修生として大学に通うことが決まりました。
S大学の科目等履修生は週に5時間と決まっています。
なので1時間ずつ毎日通うことにしました。

最初はずっと一緒に私と授業を受けていましたが、知り合いの先生にボランティア部の部長さんを紹介して頂きそこから輪が広がったのと授業でチラシを配らせて頂いたこと、また直接、声掛けする中、どんどんサポーターさんが増え、すぐに私が授業を受けることはなくなりました。

授業だけでなく昼食や登下校も一緒に過ごしてくれています。更には1回生の時からゼミにも入れて頂き、飲み会にもずっと参加しています。

2回生の時にそのゼミの1つ上の女の子に恋をしました。彼女は仲の良いお友達とサポーターを申し出てくれ、授業、昼食、登下校と多くの時間を一緒に過ごしてくれました。

ある日の帰り道、藤井寺から電車に乗り、好きなNちゃんが早足で行って3人分の座席をとってくれました。そのことにもう1人のIちゃんが「Nちゃんが席を取ってくれてんから ありがとうって言いや」と健太に言いました。いつもの健太なら首を縦にふって‘ありがとう’を示すのですが、その日は『ありがとう!』と言ったのです。

奇跡がおこりました。20歳になって初めてありがとうが言えたんです。友達の力、そして恋の力は偉大だと思います。

まさかの出来事にとても驚いたのと同時に、お友達に本当に感謝です。
大きく広くなった社会・世界で健太は更に生きる力を身につけ、大学生活を満喫しています。
大学にも行って本当によかったです。
(2015年11月)
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『ともにまなぶ ともにいきる』学校生活後には、豊かな人生がきっとある

健太さんの学校生活についてのもっと詳しい内容は、雑誌『ともにまなぶ ともにいきる』第2号に掲載されています。
フリーランス・ライターの合田享史さんが丁寧に取材をされ、健太さんだけではなく大阪府内での実践例をいくつも具体的に紹介されています。教育関係者のみならず、多くの保護者の方にぜひ読んでいただきたい内容です。

 

大阪発「ともに学び、ともに生きる教育」情報板

http://massugu.way-nifty.com/tomonimanabu/2015/03/post-435c.html


健太さんはこの春、大学生活を終え、乗馬クラブでのアルバイト雇用が決まったそうです。
今まで当たり前のように友達と一緒に過ごしてきた健太さんは、これからも周りの人に笑顔を与えながら、豊かな人生を歩んでいかれるに違いありません。

「共に学び、共に生きる学校生活の後には、きっと実りある人生が待っている」。私はそう信じています。


posted by イムニー at 12:11| Comment(0) | 共に学び共に育つ教育