2018年07月27日

相模原事件から二年〜「そのままでいい!」「そのままがいい!」

あの相模原事件から二年が経ちました。
社会は全く変わっていませんが、
でも、きっと、様々な思いを持って
いろんなことを考えてられる方も沢山おれると思います。

最初に、
以前、別の場で、
「発達を保障する」ということについて
強い拒否反応を示したことがあるのですが、
その「発達保障」について、少し記したいと思います。

発達保障とは、周りの大人が子どもの発達を保障しますよ、ということのはず。
その言葉を持って、多くの障害児の親が惑わされてきたと思います。
いえ、今も、惑わされている方は沢山おられると思います。
「あなたの子には、専門的な働きかけが必要なんですよ。」
「専門的な関わりをすることで、あなたのお子さんは伸びますよ。」
「支援学校へ行けば、専門的な関わりをしてもらえますよ。」
そんな風に言われるからこそ、支援学校を選んでしまう、
というところはあると思います。
でも、私は、子どもにとっては、ほんとにええ迷惑だって感じます。

そして、
「専門的な関わりをすることで、あなたのお子さんは伸びますよ。」
ということは、つまりは、
「できること」=「良いこと」
という価値観が当然のように成り立っているのだと思います。

私だって、ちぃに「できること」が増えた時は嬉しいです。
その気持ちに変わりはないのですが、
でも、何よりも、今、一緒に過ごせていることが嬉しくてたまらない。
今この瞬間、生きていてくれることが嬉しくてたまらないのです。

難病のお子さんにとっては、
それまで出来ていたいことが出来なくなっていくこともあるでしょう。
肯定することは難しそうなのに、
それでも、病気になってよかった、とおっしゃる方がおられます。
障害のある人自身が、
自分は障害者でよかった、
そんな風におっしゃる方だって、結構おられます。

私は、ちぃは言葉がしゃべれないけど
今は、それでいい、とか、《それがいい》とか思っています。
以前に出来ていたこと(してくれていたこと)が出来なくなる(してくれない)
ことも多々ありますが、それでもいい、全くいい、
と思いながら子育てしています。
出来ることが増えたら、それも素直に喜んでいます。
でも、できないことが沢山あることは、全く問題ないですし、
いつだってステキな女の子だし、いつも輝いていて、
自分はすごいんだ、と本人にもずっと思っていてほしい、
そう思いながら子育てしてきたし、今もしています。

だから、
「できること」=「良いこと」
は、否定するつもりはないとしても、肯定する気はありません。

それについては、分ける分けないという話の前提だと思っています。
出来ることが増えても増えなくても、成長してもしなくても、
そんなのは、どうでもいいじゃない。
そのままのあなたがステキ!それでいいんじゃないか?と思います。
まして、成長させてあげましょう、出来ることを増やしてあげましょう、
なんて誰かに言われたくなんてない。
そう思うのは、私だけではないでしょう。
だから、断固拒否したいのです。

ただし、「できなくてもいいじゃない」とみんなが感じるようになる為には
場を分けていてはいけない、できないことの多い子も一緒に育つこと
しかないと思っています。
以前にも記しましたが、
ちぃの中学卒業時、クラスの友達らからの寄せ書きには、
「授業中うるさかったな。でも、それが一番だよ。」
と記してくれていた男子生徒がいました。

皆がそんな風に思ってくれるようになれば、
障害のある人も、その家族も、
いえ、結局は、どんな人も生きやすくなるはず。
ありのままを認める、というのは、互いに認め合うということだから、
自分自身にも返ってくる。
自分自身も生きるのが楽になるはず。
そうすれば、相模原の事件のようなこともなくなるだろうなぁ〜と思えるので
だからこそ、私は、インクルーシブ教育を進めていきたいと考えています。



でも、もう一つ。
相模原事件の容疑者に言いたい!
いや、本当は容疑者に対してよりも、
なんとなく「犯人の言うこともわかるなぁ〜」なんて
(口には出さないけど、心の中で)感じている方々へ伝えたい!
だからって、重度障害者は能力がないわけじゃない!と。
なんの役にも立っていないわけじゃない!と。
そのことについては、また、時間ができた時に記したいと思います。

                         
posted by イムニー at 12:17| Comment(0) | 共に学び共に育つ教育